薬剤師ユウの『薬膳』

『薬膳』について簡単に解説!レシピなども記事ししていくよ!

【薬膳の基本②】中医学?薬膳学?歴史から見ていこう!

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こんにちは!
薬剤師のユウです!

前回は『薬膳』とは?を大雑把に書かせていただきました。
薬膳の考え方は至ってシンプル・・・健康の維持・増進、病気の予防・治療・回復などを目指す、健康を守るというもの。

今となっては世間に広まった『薬膳
一体どこで、どのようにして生まれたんでしょうか?
初めから身体の良いという食材やその組み合わせが決まっていたとは考えにくいですよね?

さて、それでは今回は薬膳の元の学問。中医学と薬膳薬の歴史について見ていきましょう!

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中医学薬膳学の起源

中医学・薬膳学は、人々の生活の中で様々な問題を解決したことによって生まれた学問です。
長い長い歴史と共に検証され、取捨選択されて出来たのです。
食材から中薬(生薬)を見つけ、中薬によって医療行為が生まれ、火の使用によって食文化が発展してきました。

○食文化の発展

火の使用が開始される前までは一体、どのようなことが必要だったのでしょうか?
生きていくためには食の問題は切り離せない関係がありました。中国では「茶は体の毒を排出してくれる」という生活の知恵が昔から存在していました。その生活の知恵は原始的な食材による治療法の始まりで、薬膳学のスタートと言っても過言ではないでしょう。

人類が進化をしていく中で、火の使用はとても大きな影響を与えました。生食から火の通った食事に変わったことにより、胃腸の病気が減り、食の質や栄養状態が変わったことにより脳も発達しました。また、調理技術の発展、食材の使用方法の進化・・・これらが食文化の発展に繋がっていきました。

 

中医学薬膳学の歴史

時代ごとに中医学・薬膳学の発展を見ていきましょう!

1 酒と医学

夏の時代(紀元前2100年〜1700年)に農業が発達。この時代から穀物から酒を作り始めました。この酒を作る調理技術が、後の薬酒に大きな影響を与えることになります。

2 中薬の活用

商の時代(紀元前1700年〜1100年)に食材の知識が豊富で食の分野のスペシャリストの伊尹という人がスープから中薬(生薬)を煎じる方法を考案。この流れから薬の作り方にも応用されるようになります。

3 食医制度の創設

西周の時代(紀元前1066年〜771年)には飲食と医療における職が設置されました。これは社会の発展により、飲食や健康を重視するようになった結果です。
その中で食医」という職の人は王の飲食のバランス、四季の食材の使用方法、味の配合を管理する役目を担いました。

4 中医学理論体系の確立

春秋・戦国時代(紀元前770年〜221年)に『黄帝内経』という書物が書かれ、その中には中医学の理論体系の基礎が書かれています。その中でも重視するべきは治療より予防が大切ということが述べられています。食を重視する考え方がよく表れているのが『黄帝内経』です。
病気に対して五気六味(食材の性質と味)による治療効果が述べられています。
※五気六味:五気は寒性・涼性・温性・熱性・平性の5つの性質。六味は酸味・苦味・甘味・辛味・鹹味・淡味をいう。

5 薬学専門書『神農本草経』登場

漢の時代(紀元前202年〜紀元後220年)に『神農本草経』と言われる中国で最初の薬学専門書が書かれました。この本では365種類の食材・中薬を「上品」「中品」「下品」に分類して説明しています。ではこれら3つを詳しく見ていきましょう。

  1. 上品:毒性なし。長い期間に多量に服用可能。延年長寿の効果がある食材・中薬
  2. 中品:毒性あるもの・ないものがある。病気の予防・虚弱を補う食材・中薬
  3. 下品:毒性あり。長期服用ができない食材・中薬

6 『傷寒雑病論』登場

漢の時代、『傷寒雑病論』という本が書かれました。これは症状を集めて総合的に病気の判断をする診断法の原点になった本です。後に2冊の本、『傷寒論』『金匱要略方論』になり、『傷寒論』では112〜114の方剤(漢方薬)が記載されています。少し馴染みのある葛根湯や桂枝湯などの今でも使われているものの記載もあります。

7 『後漢書』に薬膳の記載

後漢朝(25年〜220年)の歴史を記した『後漢書』という本に薬膳の記載が初めて表れました。薬膳という言葉はこの書籍で生まれたと考えられています。

8 食療法を記載する『備急千金要方』『食料本草』

唐の時代(618年〜907年)に『備急千金要方』という医学書が書かれました。もっとも古い食療法の記述があり、この時代には動物の内臓を用いて人の臓器を養うということが書かれています。食材を果実・野菜・穀類・鳥獣虫魚に分けて治療法が記述されています。
この後、『備急千金要方』を基として食材と中薬を増補し、薬膳の処方を編集し生まれたのが『食料本草』。この本が食療法の最初の専門書になります。

9 食の重要性を説いた『奉親養老書』

宋の時代(960年〜1279年)に『奉親養老書』が書かれました。その本によると「医者が薬をうまく使っても、食による治療には及ばない」と記載されています。食材に関する知識は薬より効果があるということ、食の重要性について認めた書物になります。

10 営養学(中医薬膳学)の専門書『飲膳生要』

金元の時代(1115年〜1368年)宮廷に勤める医師が『飲膳生要』を著しました。これは五味により五臓を調和する話が書かれています。この本は中国で最初の営養学の専門書であり、営養保険に着目し、営養によって病気を予防することを強調しています。

※五臓:肝・心・脾・肺・腎

11 『本草綱目』によって広がる食材による病気の治療

明の時代(1368年〜1644年)薬膳学は中医学の進歩と共に発展と成熟の時期に突入します。この時に書かれた『本草綱目』は食材と中薬を水部・穀部・菜部・果部・禽部・獣部などに新しく分けて、今まで以上に細かく食材を用いて病気を治療することと薬膳の内容が盛り込まれています。
※禽部:鳥類の総称

12 老人のための薬粥の記載がある『老老恒言』

清の時代(1644年〜1911年)に『老老恒言』が書かれました。この本には老人のための薬粥の献立と作り方が収められていて、上品の粥36種、中品の粥27種、下品の粥37種が記載されています。また、粥を作る際は土鍋を使うように勧めている本になります。
土鍋はゆっくり加熱できるので有効成分を十分に引きだることができることに加えて、冷めにくいということから推奨されています。金属のものは金属成分が溶け出して、食物の成分を変質させてしまう可能性があるため推奨されていません。

13 温病学説の発展

同じく清の時代に温病学が発展。これにより中医学の臨床は更に充実しました。
※温病学:発熱や発疹、赤痢などの伝染病に関する学問。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

ちょっと歴史の話で退屈に思う人も多かったのではないでしょうか?
とはいうものの薬膳の話はこの歴史があってこそのことであり、知っておくに越したことはないのかなと思っています。
長々と中医学と薬膳学の歴史について触れていきましたが、こういった歴史の積み重ねによって今の漢方・東洋医学があり、薬膳があるわけです。

今回は難しい本の名前が沢山あったのでそれぞれの著者についての記載は控えさせていただきました。もし興味あればコメントください。

 

それでは今回はこの辺で
薬剤師ユウの薬膳に立ち寄っていただき、ありがとうございました。

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